楽響



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妄想文

我々が動物進化の結果的であるとすれば
動物として
種の存続として必要不可欠な、性欲や食欲に従っていると言える。

動物は欲に従って行動し
それらを満たす為に必要な努力として
種の中での強さ、対他種に対しての強さを身につけてきた。

ところが人間においては圧倒的に対他種に対する強さを
種として身につけてしまった。
こうして今まで使っていた脳みその一部に余剰が生まれた。

 種の中での強さを求める姿はひとたび周囲をみればあらゆる部分に見ることができ
 人対人で行うスポーツ競技的なものである。
 これは種の中で争う動物的なものであるためシンプルである。

では人対人に使われない余剰分はどのように使われるようになったか?

 人対人の戦いは他人に対してであるが、他の余剰は対自分、
 つまり一人のときに自分に作用する部分に使われた。

気になる相手を思い、一人、壮大な景色のなかで物思いに耽り
夕暮れ時を迎えたときをイメージしてみる。
気になる相手を思う気持ちは動物にもあるが
我々には余剰があるため、みている夕暮れの景色にまで欲が溢れて反応し
夕暮れさえ気になるあの子にたいする気持ちを感じ、好きだと感じてしまう。
これが余剰の為す部分であると思う。
夕暮れを言い換えれば
言葉、詩、音楽、文学、絵画、彫刻、料理、その他諸々に言い換えることが出来るだろう。

よって余剰は
対他的に争うことで欲を発散させるタイプのものもあれば、
孤立したタイプの者は内向という手法にそって発散させられるものであるとも言える。

それらは
優れたサッカー選手のテクニック同様に、
優れた詩人、芸術家のテクニックに例えられる。

ここでその二つの方程式をイメージする。
優れたスポーツ選手に芸術家はない。
優れた芸術家にプロのスポーツ選手はない。
おそらく、物事に打ち込める時間は限られているため、
どちらかに特化すればどちらかが失われる。

誇張すると
スポーツする人間が増えれば
ものすごい芸術を成し得る人物が減る。
ものすごい芸術を成し得る人物が増えれば、
不健康な人間が増える。

さて、
この妄想が今これを読む脳みそにどのような連想を生むか?


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by rakkyouh | 2013-12-27 00:35

妄想図


f0167000_22405837.jpg
創造の起点を根幹から生成するか。
末端の細々とした火柱の一端を担うか。

創造の起点が故に己に多大なダメージを被るか。
末端が故に片手に少々の傷を負うか。

怯む前に創造するか。
創造する前から怯むか。

末端の行方を考慮して広がるか。
生成したが末端の行方を見ずに果てるか。

色の違いを末端の形状で統一するか。
形状の違いを末端の色で統一するか。

一枚の真の絵を描くことが出来るか。
描く途中で見失うか。

暗闇がゆえに明暗を強めるか。
暗闇が故に暗黙するか。

末端が故に更なるスピードの増加があるか。
末端が故に停滞しぼやけるか。

基調の変化を規定するか。
様々な変化を許容するか。

まず起源の軸を己で定める程、磨き上げたものがあるか。
ないか。



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by rakkyouh | 2013-12-24 22:42


気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
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