楽響



<   2011年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧


chum salmon.

私は、生まれてこの方、自分の親など知らぬ。
果たして、淡水の生まれ落ちた流域で聞く限り、
親と言う言葉が何を意味するのか?私には見当も付かぬモノであった。
清流で物心がつく頃、周囲には同学年と見える者しかなく、川を下り、
しかし、いざ海域へと出てみると、時折親とはありがたいものだよとか、
私は口の中で育ててもらったよだとか、奇異な魚に奇異な意見を聞いたものだ。
いざ、口の中から小魚を吐き出し、
また吸収する奇異な子育てをする海魚を目にしたときなど、
なるほどあのホラ吹きと徒名をつけた彼は
ホラ吹きではなかったのだと納得するにいたったのである。
我々がいかなる距離を移動したかはメートル法によらねばならぬが、
我々がいかなる時間を移動したかはtというものの基準を作らねばならぬが
我々は本能と太陽という基準以外の尺度を持ち合わせておらず、
どれくらいの距離、時間がたったか、知る由もなく、知る欲もなく、
なぜならそれは他人に説明する必要がないという決定的な要素があるためだが、
いよいよ我々の身体は大きくなり、
鱗は屈強で堅固なシルバーに輝き始め、同期の雄の鼻はシャクレが顕著となる。
気付けば我々は数年親しんだ海水という芳醇で鬱屈とした濃厚な青から、
淡水という純粋で淡く、これまでの蒸された凝縮とは全くことなる簡素で潔白な流域へと
向かうこととなる。
自然とこのような環境へ移る際、我々の身体には変化が起きるのだ。
我々の鱗はシルバーでいることを拒み、海域での使命を終えたかのように錆び始める。
生命における終盤とは、何かしら終わりに近づく為の熟成美がなされるように、
その錆は自然と、淡水域であるがために、美しく映える。
海の青に対する、秋の紅葉の川の錆。
我々は、風流な者達である。
時早くして美を悟り、体色の変化を催す。
季節感を自らの体躯をもって表現する能力、
いとはかなくも、まばゆし。

さて、我々を待ち受ける最後の難関とは、
上流に辿り着いた私的経験から言えば川の途中にある。
釣り人だ。
彼らはあらゆる手法を投じ、我々と対峙にかかる。
しかし、余程のことがなければ、
我々はあなたがたの投じた愚弄で怠慢な、弛緩した糸の先に結ばれることはないのだ。
何故なら、我々はあなた方よりも絞りきった信念をもち、
一重にそれを信じ、疑うことなく、生命を使い切っているからだ。
何かの疑念、思惑、意図、高慢、名誉心、いかなるくだらないもの達が、
ありありと見える歪んでたわんだ糸、ましてその先につながれた鈍い金属片を介して、
我々に見せつけられ、いかにウンザリすることか。

さて、このいわば高潔さの競争とも言える争いに、あなたはやってくるのだろうか?
[PR]
by rakkyouh | 2011-10-19 23:37

若者達へ。

老翁に聞いた所によると、
私どもは皆、川以外の場所で生まれ、ある程度育てられたのち、
この箒川に放たれた者であるらしい。
幼い頃の記憶があるかと問われると、私の脳は、
日々生きる為の経験的記憶を積みかさねる容量でいっぱいなのである。

私が川に住むようになり、居心地のいい住処をようやく見つけた頃に、
若い新参の者達が大量に現れるのを初めて見た。
彼らは真ん丸の目で、とてもあどけない表情をしており、体色は哀れな程に白く、
なかには満足に流れを横切れずに流される者がある始末である。
このときに、私もどこかとても環境のよい場所から運ばれてきたのだと理解出来た。

そんな彼らは、
いちはやく水面を割って何者かに引っ張られる。そして、戻ってくる。
この川の不思議な現象だ。
私の過去の経験からいくと、口にピリッとした痛みが残る。
しかし、時折戻って来た者が死ぬ場合もある。

この現象は、食物の穫り方によって起こる。
経験的に次のような場合が危険である。

1 水面の外で何者かの気配がしたとき(夜間は安全である)
2 水面の落下物を反射的に補食した場合
3 遊泳力が妙に優れた小魚、不自然な動きをする小魚、または、卵
4 一度引っ張られた食物に似ている場合
5 一度引っ張られた場所での捕食

ざっと簡単に述べると上記のようになり、
以下、それらを踏まえた上での安心出来る環境について述べる。

○何者かの気配がしたら、少なくとも明るいうちは岩陰でじっとしていること。
 
○とにかく、普段は岩陰にいること。
 あるいは、
 白泡が覆う急流の下の底波にいること。

○食物を発見した場合、追尾/観察の区間が取れる場所であること。
 目先での観察の際、少しでも違和感を感じたものに関しては、形、動き、音、全て記憶すること。 同じ物が再度間を置かず流れてきた場合、明るいうちは岩陰でじっとしていること。

これらの事柄を注意深く守れば、きっと安全に暮らす事が出来るであろう。
そして、褐色の逞しい身体となり、時が経てば、四肢も復活し、川を治める主となれることであろう。
f0167000_17355850.jpg

f0167000_17362627.jpg
f0167000_17361380.jpg


   
[PR]
by rakkyouh | 2011-10-01 17:40


気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
最新の記事
2017 中禅寺初詣
at 2017-04-03 22:08
新潟 荒川の鮭
at 2016-12-11 22:59
アシストフック美学
at 2016-02-20 19:20
過剰な道具と夏の終わりの中禅寺
at 2015-08-30 18:15
ALASKA
at 2015-08-16 17:49
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧