楽響



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過去の写真。

思いもよらず
魚の名前が変わったりして、
過去に釣った魚の価値が変わるのかと苦笑。
話題の魚そのものでなくても、ここに手ぶれで写ってる彼らは
銀ピカのヒメマスに比べれば独特に黒い。
これを見た地元のおっちゃんは、
こっちが冗談で
「クニマスか!」なんて言うと
「んなわけあるめい、よくいるヒメだ」
てな感じで慣れたもんであり、
その強気な証拠に過去の虚しいクニマス鑑定結果があったに他ならない。

この写真の魚は時期によって毎年釣れるので、いっぱいいるのだろうし、
釣場にいる人にとっては、別に珍しいものでもなんでもない。
ヒメマスと交配してたり色々複雑になってる可能性もあるだろうが....。

今回の話はなんともロマンがあって酒に合う。
田沢湖の末裔が富士の麓ででっかい群れで泳いでいるのだから。


というわけで勝手に心浮かれて記念に数枚。
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by rakkyouh | 2010-12-19 23:16

秋におおげさに思ったこと。

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あらためて思う。

彼らの力に感激。

およそ4年振りに帰ってきた生まれ故郷の川を悠々と遡っていたら、
もうすぐ産卵という所で人間に敗北し、命を落とす。

その決着が簡単に決まるのであれば、あまり意味がない。
強力な力で我々を圧倒し、穫れないのではないかという不安に陥れ、
結果的にギリギリの勝負のなかでようやく勝利すること、あるいは
特に大きな雄を掛けたときなどは、今一歩で穫れずとも
それだけでおおきな喜びであること、
そんな手強い相手と戦ってみたいという希有な経験を与えてくれるのが
彼らなのである。
ルール上、キャッチ=彼らの死だ。
このやり取りにはもちろん、
我々に命の危険など全くないに等しく、対等ではないが、
普段の生活には現れてこない強烈な”ダイレクトさ”がある。
店に並ぶ魚の切り身と比較してみれば明らかで、
それらがどういう水に生き、どういう死に方をしたのか、買う者に知る術はない。
単なる銭と交換した食料に過ぎないのである。
買った切り身を食べておいしいと言うのと、
釣り上げた魚を殺し、食べて旨いと言うのでは大分に深みが違うであろう。

本能的な狩猟感覚をベースに、プラスαの普段得難き強い相手との駆け引き。
熱く、アドレナリン出まくりの戦い。そして身の一部とさせるがために食す。

銭と交換し、イージーに食すのが現代的であるという考え方もあるだろうが、
そういった場合、人は本能の向け先を見失い、
人に牙を剥き始めてしまうのではなかろうか?
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by rakkyouh | 2010-12-18 23:25


気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
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