楽響



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魚拓2

赤川 四段下

4/29 2009   pm3:45 

59cm  

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「回想」


赤川到着pm3:30

明日に向け軽く慣らしておこうと、軽い気持ちで釣開始。
根がかりが少なく、流れに変化のある四段を選ぶ。

しかし周囲見渡せる場所には人がいない・・不安度増。

が、私のような一見さんに釣れるのは運しかないと信じ、
渓流であればここを通る!と流れのヨレを信じることにする。
半月前に同じ場所で一日投げてアタリすらなかったことは頭から離す。

やく1km下に見える海のブルーをイメージしたスプーンをセットする。
スプーンから黒針へと続く糸は、自分で巻いたコバルトブルーだ。
きっと海にいたサクラは、海の青の懐かしさに涙するはずだ。

上流へキャストし、上下にフラッシングさせながら流す。
やや自分より下流に流れたら巻き始める。

過去に、カツッというアタリは、大抵、流木がかかっている。
しかしこの日、数投目、ターンさせた直後、モスッと引き込まれるアタリ。

すかさず合わせる。

魚の感触、魚が掛かった!

しかし、この動きはどこかニゴイのようであり緩慢である。
時折こっちへ向かってくるので慌てて巻き取る。
・・・。期待はうすいなと脳は判断。

しかし手前数メートル、水面にギラッと見えたのは明らかにサクラ!
このとき急遽、脳が焦り始める!

脳が焦り、身体の重心を落とさせる。蟹股かつ腰を落とし、恥ずかしいくらいダサイ!
しかし周りには誰もいないのだ、大丈夫、ダサくても落ち着け、
魚の動きに合わせ、慎重に俊敏に竿の向きを変える。

まさか釣れるまいと、地面に置いていた網がまた遠い!しかし魚は思ったほど暴れない、
エイッと網を取りエイッと魚をすくう。

あれれ??こんな簡単に穫れていいの????

もうちょっとドラグ鳴らして走るんじゃなかったの!?

イメージと違う過程に戸惑いながら、イメージしていた結果を得て、
なんだか複雑な気持ちだったが、徐々に喜びがこみ上げる。

記念に証拠写真を撮らせてもらった後、
硬い尾びれの付け根を軽く持ち、腹の下に手を添え回復を待つ。
ゆっくりと泳ぎを思い出した彼は、再び上流を目指す。

願わくば、生涯目にする人間が、俺だけでありますように。
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by rakkyouh | 2009-04-30 22:13

日光

・丑三つに 登るイロハの 孤独好し

・夜明け前 待つことしばし 夜鳴鳥 

・我癒す 遠くにみゆる 人の声

・寝転べば 岩の中から 水音の

・舟出たる 始まる今日の 合図なり

・水底の 揺るる藻がなす 螺旋かな
 我が愛竿の 割るる破断音       

・夜明けから 日の出までとは これ儚し
 帰路につくには 朝焼け眩し
 
                  楽響 「新緑の歌選集」 
                  
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by rakkyouh | 2009-04-22 22:57

水物。

「勝負は水物」なんて言い回しがございますが、
皆様、私は水です。

そう、いつも川や湖への訪問ありがとうございます。

人様は科学的な考え方が主流ですから、その枠の中で考えると
水に思考があるなどという事実は、思いもよらぬことでしょう。

では、例えば
あなたが釣りに行きたいという衝動、本能を刺激する相手とは
やはり魚でございましょう、
実は、魚は私が皆様と戯れる為の、所謂、水である私が操るルアーであったとしたら。
陸に上がった魚はやがて動かなくなりますが、
あれは私の操作範囲外に出てしまうからなんです。

そう、何故そのようなことを致すのか言わねばなりません、
私は寂しがり屋なのです。
なんと行っても私は水でございますから、温度などで変化したり流れたり、
なにやら色々な姿/形を想像されるでしょうが、実はたった一つなのです。
その一つの中に、無数の思考が数えきれぬ程存在し、その理解しがたい存在感のため、
今ひとつ科学には載らないのでありましょう。
そうそう、寂しいので人と戯れる。楽しいので人と戯れる。
その為に魚というルアーを使って、今日はよく見るあの人の元へ、だとか、
あの人はまだ早いな、だとか、遊んでいるのでございます。
じらせばじらすほど、その御仁は遊びにきてくださいます。
逆に私のルアーを時たま御仁のルアーに掛けてあげると、
またまたその御仁は遊びにきてくださいます。
遊びとは駆け引きでしょうか、水物とはよく言ったものでございます。

先週末でございましょうか、
山形に現れたとある御仁はいかにもヤル気に燃えておりましたので、
2日間、私のルアーは出さずにおきました。そうしますと、次の日には男体山の麓に現れ、
未だ挑戦する心に燃えておりましたので、1日出さずにおきました。そうしますと、
次の日は別の山上湖に現れまして、明らかに疲労し、ヤル気も消えかけておりましたので、
私は小振りなルアーを彼のルアーに引っ掛けたのでございます。

こういったやり取りは、非常に心理的部分が重要でございます。
一人でも多くの方と遊ぶ為には、わたしも色々用意しておかないと。
時には、こっそり育てた巨大なルアーなど、掛ける場合もございます。笑

それではまた今週末にでも遊んでくださることを期待し、
この辺でお流れしようかと思います。
私との戯れなど、所詮水物ですから、くれぐれも入れ込み過ぎて心身痛めぬよう。

                           水より。
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by rakkyouh | 2009-04-15 22:14

古狐と三尺魚。

人は私を烏骨鶏と呼ぶものだと、風の噂で聞きましてございます。

さて、我々は人様に飼っていただき生き延びてございます。
おいしい食事をいただき、狭い住処の場合も多いのですが、
それはそれは何不自由なく幸せに過ごしておるのでございます。

さて、私供は人様に飼われ、風雅な小さな小屋に夫婦で住んでいる者でございますが、
近頃、隣りの小屋の鶏達が古狐に襲われ、命を奪われてしまったそうでございます。
古狐といえば、それはそれは狡猾で残忍なものでございます。
我々のもとに現れたのも、近所の犬達が揃って往生してからにございますのも、
ずる賢いという他に発する言葉もございません。

飼い主の人間は、
私供の小屋に色々な細工を施したり、
古狐に驚嘆した私供の声を聞くなり裂帛の気合いをもって追い払ったり、それはそれは
色々気を掛けて頂きますが、なかなか古狐の狙いが変わることもございません。

そんなおり、小屋の前の、普段は明かりの灯らぬ窓から明かりが漏れましてございます。
これは年に数回あることではありますが、近頃現れた古狐は知りますまい。
このとき、我々は古狐に遂ぞ狙われたので、それはそれは驚嘆の声を発したものです。

そういたしますと、小屋の窓から人様が現れ、その明かりが古狐を追い払ったものであります。

ふとその明かりが消え、よくよくみますことには、鳥目とは言えども
闇の窓際に人の顔がこちらを見張っている様子が見えましてごさいます。
彼はおそらく古狐の再来を待っているのでございましょう、
おそらく古狐も彼の様子には見えない暗闇から注意を払っているに違いありません。
彼はちらりと小屋の横の暗闇に目をやり、その後明かりの先の林への隙間へと目を移します。

それを繰り返すうち、かれこれ2時間は経過したでございましょうか?
彼は直接目を配るのをやめ、薄いカーテン越しに月明かりを頼りに見ているのでございましょう、
時折光るオレンジ色の煙草の発光が彼の所在を示すのでございます。

さて、狡猾な古狐は、一度目の襲撃が失敗した後、
窓際の闇の人の顔に気付くや、一瞬でこの夜の獲物を他に定め、歩き去ったものだと、
とある不眠症の雀から聞きましてございます。

窓際の彼は、待つことに大変な意義を見いだしておいでのようでございました。
一々、月明かりの届かぬ暗闇に目を凝らしては、次の暗闇へと目を移してございます。

後に彼の話すことを又聞きするに、目を移した際のふとした残像などが、
それを狐の手足頭の一部と勘違いし、恥じたようでございます。

2時間の待ち伏せの間、彼は勘違いの残像を擬態、すなわち古狐の一部とすることで、
全くの自己暗示のようなものであるに関わらず、
気持ちを引き締めていたように思われるのでございます。

結局彼は古狐の姿を目にすることなく、
その窓付きの部屋をさったのでございます。

もう少し、古狐に気付かれなければ。
もう少し、警戒心をあなどらなければよかったものを。

この世の事象は万事に通ず、あるいは応用が効くものにございます。

雀曰く、「彼は釣り人」だそうで、
今後逐一、上記をふまえ、頭を使って頂きたいものでございます。
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by rakkyouh | 2009-04-05 23:52

敗走

いろは参拝。

2日間延べ20時間、ロストしたルアーは数知れず。

昨年に比べれば想定外の過ごしやすさの湖畔だったが、
その水中たるや冷淡極まりなく、我々に関係なく、
魚達は寒さに悲嘆あるいは歓喜、どちらかは知らぬが、まだ見ぬ春を奥底で待っている。

経験に基づく”手法”からくる自信は環境に打ち崩された。
ここで環境を読む力があれば、撤退も選択肢に入ったはずである。
手法は環境あってのものであった。

奥深し大自然。
夜鳴き鳥の波打つ低い声に恐怖し、あまりの月明かりに立ち止まり感嘆し、
ウォッカは氷のように凛と冷たく、冷気は煙草の味を数倍増加させた。
これらに喜べど、水中の状況には悲嘆すべきであった。
ふと水面を流れ来る氷の列。いつもより早い藻の発育状態。
昨年までの経験からいくと、これは今までとは違う。
環境を単純に過去の時間軸で判断するのはいけない。

時は万事を変えることで成り立つことであり、
時はおそらく過去を振り返ることはない。

厳しいとは言えしかし、尺そこそこの幼いレイクトラウトに出会うことはできた。
沖の底でかけたこの活性の高い子供は、
網の中で水圧の変化に腹を膨らませ、高い声でキュウキュウと鳴き、
ゆっくりと底を目指して帰った。

願わくば3倍になって再び私のもとへ。
今年の奥日光は、まだまだこれからである。











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by rakkyouh | 2009-04-05 23:00


気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
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