楽響



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超私的論 「粋な釣りの構造」

世界には、フランスのエスプリ、イギリスのダンディズム、などなど、
単純に湧くイメージでは、洒脱でイケテて孤高な、とても魅力的な姿がある。
ここ我が国に目を移すと、いわゆる「粋」である。
今回、目指すべき釣りのスタイルと、それとを合わせて考えてみる。

粋とは、九鬼さんによると、「垢抜けて張りのある色っぽさ」などと出てきたり、
オモシロおかしくまとめられているのだが、ここでは勝手なイメージをつまんで話を進める。
風流であったり、渋みがあったり、武士は喰わねど高楊枝、どれも惚れ惚れする言葉であり、
それらを釣りと合わせてみる。

日本人であれば「粋」な大人になりたい。
ここでは鱒族に限った話になるが、
私のルアー/フライフィッシングは「粋」であるか?
違う。西洋の言葉にはよく似合い、エスプリやダンディズムを感じるが、「粋」ではない。
この時点ですでに、私がルアーフライをするときは、エスプリ・ダンディズムを追求すべきであり、「粋」とは無縁である。これは「粋」と西洋のそれとが、庶民的な像と、貴族的な像の違いであるためであろうか、西洋ではルックスが比較的高い割合を占めそうであるのに対し、日本では心意気の方が大事になされている感覚である。
ロケーションはよい。しかし、道具がいけない。風流であるためには、竹を切ってきた様な延べ竿でなければいけない。まず、便利であってはいけない。
そして、ファッションも、最新の薄くて軽いものでは全く意味をなさない。
高楊枝説から察するに、機能的でなく、寒そうでなければいけない。当然、寒さを他人に悟られてはいけない。いわゆるヤセ我慢が披露しやすい格好に限るのである。
となると、すでに私は到底「粋」ではない・・。

以上は自分を端から見たイメージで書いてみたが、では、70歳の老紳士が、
ピタリとサイズのあった極薄防寒ゴアテックスに身を包み、タレックスレンズで眼を守り、
ルアーフライを操っていたらどうか?
「粋」である。これはもう機械と老紳士というギャップにやられる。
翁が延べ竿というのは、一平爺さんのようなわかりやすいイメージであるが、
ルアーを操る洒落た格好をした、例えば70歳になった魚紳さんの姿は、「粋」である。
このことから、機能と年齢で考えると、歳を取るごとに所持品を便利にしてよいが、
若いうちは機能を身にまとってはいけないのだ。

では、再び私に戻り、「粋」になるために不憫な思いをするのに適した場所はどこか。
渓流である。沢の美女、取り分け尺にも届きそうなものを相手に選ぶのだ。
もちろん道具は延べ竿で、セルロイドの矢羽根、銀鱗1.5号(馬鹿に太いのが粋)、
餌は川虫、トンボ、蛙。そしてバーブレスフックが意気込みを増させる。
ファッションは、シワ加工の効いた麻系がよい。一見くたびれて見えながらも風流な素材である。
頭には麦わら、魚篭も合わせてトータルコーディネイトだ。黒で艶のある長靴を履き、
キセルを燻らせたい。
出来れば、上流か下流に他の釣り人がいた方がよい。一人では動きに甘えが出るからだ。

かくして、便利さを追求するものは「粋」ではなく、
なかなかのターゲットを設定し、不便さを人目にさらし、年齢に不相応な格好をすることが、
この国での「粋」の成功者となる。

まとめ:
「粋」な釣りを演出するには、
自室でムフフと笑いながら年齢不相応なトータルコーディネイトの準備をした上で、
いざ川に降り、
魚のいそうなポイントを探す前に、
先行者を見つけ、これはシメたものだと着かず離れず後を追うのが先決だ。
そして、飄々と自然と一体化し、釣りをする自分に酔う。
このとき、アルコールを摂取出来れば尚気分が良い。
無論、釣果を気にすることなど野暮である。
しかし万が一、先行者の後にもかかわらず、
立派な1尾が釣れてしまったら、
首をひねって不満げにリリースすればよい。
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by rakkyouh | 2009-02-26 23:45

Canadian blues

言い伝えによると、
今からおよそ40年前、我々の祖先はここに移住したそうな。

今の我々にとって、言うまでもなくここは故郷であり、広大であり、何不自由ない環境である。
食料豊富、快適な温度、他の民族も豊富だが、今となっては争いもなく平穏だ。

さて、我々には、
ここではない、祖先の生誕の地から語り継がれた歌がある。
雄大な大地と澄んだ水を詠んだものである。

湖流にのって、それはもうユラユラと移動する折にナニガシかが歌い始め、
気がつけばいつしか大きくゆったりとした合唱となり、
他の民族など、言葉はわからぬも、静かに目を閉じ、満足そうに聞いているものである。

いつしか回遊を止めた老翁なども、いつもの大岩の陰でひっそりと、枯れた声で独唱する。
ふと、静かに響く彼の声を聞いた時などは、祖先の生誕の地を知らずとも、
歌から来る想像を目に浮かべ、郷愁にかられた気持ちになる。

何故、祖先にこのような移住がなされたのかは知らぬが、
ここで暮らす今の私が、祖先が強固に生き抜いてきた証である。

この先何があろうとも、私には、新たに生まれ出会う者全てに伝える義務がある、
Canadian bluesを。
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by rakkyouh | 2009-02-24 23:14

対他的釣果結果と自己満足的ロマン追求結果の隔壁。

とある友人との会話。
友 「湖は釣れた?」
私 「それが、5匹。しかも40〜50センチクラス!」
友 「おお、珍しい!いい釣りだったね。」
己の名誉と自尊と光悦、相手からの羨望と嫉妬。

一方、私のなかの脳内シナプス電流カンバセーション。
+ 「結局、釣れると楽しいな」
ー 「甘いな、魚の引きを味わうならどこでもいいだろう?
   放流魚が溜っていただけだ。あそこは管理釣り場ではないぞ、求め続けている
   自然の育んだ理想の相手は一つとして上がらなかっただろう?」
+ 「魚の引きを味わうのも楽しみの一つだ。」
ー 「結局、楽しみがあってもそれくらいだと行く前から仮定していたのだろう?」
+ 「そうではないと信じ作戦を練った。
   しかし状況により作戦を変え、盛り上がる気分も必要だ。」
ー 「釣れた数匹の魚から判断するなり、リールを巻きながら ”魚よ、もうかかるな” と
   思ったのは否定できないだろう。」 
+ 「・・・」
ー 「それは釣れた相手の力量を知った後の自責の念、
   理想とは程遠かった。何故手法を作戦通りに戻し、己を通さなかった?」
+ 「結局、苦を友に1を得るよりは、楽を友に10を得る。
   後者を楽しむ湖であると判断した。」
ー 「苦の1には楽を1000ほど得ても及ぶまい。
   結局、意志の弱さからくる言い訳だ。」
+ 「共に釣行した仲間と喜びを分かち合うことは出来た。」

モヤモヤモヤモヤモヤモヤ・・・・。



この”対人的自分”と”自分の頭の中”のギャップ・・。

おそらくいるはずであろう、ネイティブ化した巨大魚へのロマン。
ワクワクと前夜までに練った作戦。
しかし、
釣れて楽しい穴場へと傾倒、目がくらみ行動した自分。
結局、巨大魚を想定/用意したルアーは使わなかった。

鍛え直そう、
これからの時期、モヤモヤのない厳しい修行の喜びが待っている。

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by rakkyouh | 2009-02-23 00:43

鏡面

夜明けの朝靄の立つ幽玄な湖面に、
この瞬間こそたまらぬひと時と1人つぶやき、
蒼々とする水面とモヤリ明るい空の色彩と、
悶々とする濃い緑の香りに喜び、
タバコの旨味を緑のそれとブレンドし、
吐く煙で眼前の靄の白を更に濃密にし、
息のリズムを朝鳥の唄に合わせ、
味覚、視覚、聴覚を用いて、
己の存在を強調するでなく、周囲と共鳴しながら、竿を振る。

これらが揃い、芯から清められて行くような感覚が好きだ。


はてさて、そこでは凪いだ静寂の湖面がまるで鏡面のように佇む。

竿を振るのであれば、その鏡面の奥底には、竿を曲げるであろう相手がいる。

その相手の持つ、静寂、孤高、気品、云々、

もしや、

ここに来るのは、鏡面の中の相手に、理想の己を投じ、
自己を見つめ直し、自己を高める為の行為ではあるまいか?

とすれば、鱒族を己の理想と捉え、
神化しているのではあるまいか?

湖中の鱒族とは、実は理想の自分か..。

曰く、釣りは所謂釣りでなくなり、自己を確認し、清め、反省し、高める行為となる。

例えば、社寺に詣で、賽銭を投じ、己の明るい未来の約束を念じる、

何らこの行為と、
鱒族を相手にした釣りとが変わるであろうか? 

従って、私に釣果を訪ねる行為とは、
誰彼に初詣の願い事の成果を訪ねる行為くらい
野暮な質問となるのである。 笑
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by rakkyouh | 2009-02-14 01:05


気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
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