楽響



未来と過去の狭間。

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何事もなくルアーを投げ、巻き続け、数時間後、ふと魚信を得て、合わせる。
魚信を得て、合わせた喜びを感じた瞬間、合わせた事実はすでに過去となる。
合わせとは、なんと刹那的かつ瞬間的かつ秒殺的な喜びであろうか。

合わせた後は、魚を手元に寄せ、網に入れるまでの時間が待っている。
長いこともあれば、短いこともあり、稀なケースでは魚かどうか手元までわからないこともある。
元気に暴れる相手もいれば、素直に寄ってくる相手もいる。
このとき、概して我々は緊張、あるいは余裕、いずれかの境地に立たされる。
ゆとりのある相手であれば、我々の脳のアドレナリン分泌量は少なく、冷静である。
対し、ゆとりのない相手であれば、アドレナリン分泌量は最高潮に達し、
喜びを噛みしめる暇など一切なく、魚の動きに合わせ反射神経のみで対応する。
網に魚を入れた瞬間、魚を釣ったという事実は過去になる。
巨大魚とのやり取りとは、なんと無意識的かつ刹那的喜びであろうか。

日々考える、巨大魚と対峙する自分を考えると、
まず希有なアタリに上手く合わせた瞬間、喜びを感じる前にアドレナリンが大放出され、我が脳は
火事場の反射神経やり取りモードに変換され、コンピューターのように身体が動き、目や腕から入る魚の俊敏な動きの情報に瞬時に対応していく。
喜怒哀楽の入る隙は一切ない。逆に入る隙があるようであれば相手に取って不足があると言える。火事場の反射神経に追い打ちをかけるのは、魚が見えた瞬間だ。
このときアドレナリンの2次放出が始まる。
魚のサイズを視覚的に判断し、来るべき釣果が具体的に示されるからだ。
2次放出の後、魚を寄せ、網を入れ、掬う。
このとき、アドレナリンの後遺症で、まずこの釣果が現実かどうかを脳は判断出来ない。
魚を見ても、イマイチ魚かどうかよくわからない。徐々に脳が回復し始めると、
回復に使ったエネルギーにより、身体が震え始める。
手足、身体、寒くもないのに。
そして、震えが収まる頃までには、写真を撮ったりして、すでにリリースしている。
震えが収まると、ようやく意識が元に戻る。

後日思う、俺は本当にこの写真の魚を釣ったのであろうか?
写真は当時を蘇らせるが、反射とアドレナリンに明け暮れた脳は、
イマイチその時を思い起こさせるのに難がある。

よって、釣りとはまさに未来と過去の狭間の、
ごくごく一瞬の意識の切り替わりの狭間を楽しむ為の、
超刹那的ストイックな遊びであると言える。
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by rakkyouh | 2009-05-28 23:07
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気品溢れる鱒族を求めて。自己満足型随筆集
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